merry go round

文章を書くのはあまり得意ではありません

推しができると綺麗になる理由

 

今の私には「推し」がいます。いわゆる若手役者です。

 

アイドル、俳優、ミュージシャン……3次元に推しが居る人(とくに女性)は分かってくれる人が多いと思うのですが、推しに会いにいく時って少なからず気合い入るじゃないですか。

現場に行く日に合わせて美容院予約したり、ネイルを「推し色」にしたり、メイクを研究してみたり、洋服だっていっとうお気に入りを着て行く。そしてカラコンを入れた大きな瞳で推しを見つめるのです。

私は普段の顔は大木凡人ですが、推しのいる現場に行く時には銀杏BOYZの峯田になります(本人様ファンの方すみません)。それが良いのか悪いのかは今は置いておきましょう。

私は今の推しに出会ってから、推し事の日に合わせて、少しでも外見がよく見えるように自分磨きをするようになりました。むしろ推し事がないと私はずっと大木凡人です。推し事が、お洒落をする為の大きなモチベーションになっているのです。

 

もちろんライブ、舞台、握手会といったイベントの形式や、会場の大きさによって「推しの目に自分が映る可能性」は大いに上下するものです。全く推しの目に入らない現場も少なくはありません。けれど毎回それなりに身なりを整えていきます。

私は苦手としていて殆ど経験ありませんが、界隈にはいわゆる「接触」の機会というものも度々あります。接触というのは推しの目に映る可能性100%の現場です。今できる最高の自分でいかねばならぬと意気込んでしまいます。

 

周囲は言います。

「相手はお前をそんなに見てねぇし覚えてもねぇよw気合い入れすぎw」

「いやどんなに頑張っても付き合えねぇからw自意識過剰w」

 

わ  か  っ  て  ま  す  。当たり前です。

むしろ私は推しに覚えられる事の方が恐怖です。推しと付き合えるとも思っていませんし、付き合いたいとも思いません。

 

じゃあなんで推しの前でオシャレをするの?という話ですよね。

私の場合は「自分が思う1番の自分で推しの前に立った」という思い出が欲しいからです。わかりやすく言うなら「推しの前に立っても恥ずかしくない自分」でいたいから。まあ、結局はおっしゃる通り自意識過剰、自己満足の為ですけど。

 

たとえばスッピンによれよれの普段着で現場に行ったとします(極端ですが)。そして推しと目が合った!とします。私はその先ずっと考え続けるでしょう。「あの時、あの子眉毛ねえな、服もよれよれ!って推しに思われてただろうな…恥ずかしすぎる…」。

一方、自分なりに精いっぱいお洒落して現場に行ったとします。よし今の私1番カワイイ!これ以上は無理!という気持ちで推しの前に立ったなら。その後でぐだぐだ後悔することがなくなるんです。「とりあえず少なくとも人間としてみなしてはくれたかな!ヨッシャ!」と思い込む事ができます。自己満足、思い込みで結構なのです。

 

実際のところ、推しにどう思われていようが、何も思われていなかろうが、関係ないんです。どうでもいいんです。推しは恋人でもなければ友達でもなくて、どう思ったかなんて確かめようがないからです。客観ではなく主観で。自分の事をどう思われたと思い込むかが全てです。私の事なんて見てないとわかっていても、どうせなら思い込んでおきたいんです。

私は推しのためにオシャレするのではなく、自分の為にオシャレします。

あ、あと推しとは関係なく、周りの人に「○○○(推し)のオタクはダサい、ブス」と思わせてたまるかという気持ちもあります。これだって自意識過剰の賜物だけど、だからこそ最大限の自分で推しのグッズを持ちたいのです。

これはあくまで私の理由。オタクの数だけ理由はあると思います。

…本当は、推しのことは近くで見たいけど自分の事は見られたくないという気持ちでいます。マジックミラー号みたいな感じでこっちからは見えるけど向こうからは見えない現場があればいいのに!!と本気で思います。だけど無理だから。私は「推しに見られても恥ずかしいと思わない私」で今日も現場に向かうのでした。