merry go round

文章を書くのはあまり得意ではありません

自分に金使うようになったら無双になった話

これはただの日記というか、自分用のメモみたいなもんで特に面白い事は書かないんですけど。

 

ここ最近、広く言うとここ一年くらいで、私の諭吉くん(お金)の使い方がだいぶ変わってきました。

簡潔に言うと、「自分にお金を使うのが楽しくなってきた」。

これは私にとっては大きな変化であります。

 

それまでの私はと言えば、旅行大好きライブ大好き舞台大好きの三拍子で、常に金欠でした。

月一以上のペースで遠征する年も少なくなかったです。

 

(((以下、すべての文の頭に「非常にお恥ずかしい話ですが」がつきますので脳内補完して読んでください)))

前職を退職してから現職までの間、アルバイトなどで生活していた期間などは手取り10万以下な月もありました。

さらに、それはもう超絶な地方住みなので東京に行くと往復の交通費で安くとも3万円、さらに宿泊費や食事代グッズ代などで毎回多額の出費をしておりました。

金がないから現場を諦めることは絶対にしたくなかったのです。

その月のお給料が万単位で翌月まで残ることはまずなく、毎月使い切っていました。もちろん貯金なんてとても無理でした。

事情によりあまりにも金欠が酷い時は身内に借りた事もありました(やばいな)(返しました)。

現場がある日に合わせてなんとか美容院で身なりを整え、服を買い、なんとか人間の形になってました。

「推し」や、ライブのある週末のために全てのステータスを全振りしていたわけです。

 

そして私は自分の為にお金を使う、ちょっと良いものを買う、という事がありませんでした。

その必要性すら感じていませんでした。

デパコスに興味はあるけど買う余裕はとても無く、薬局プチプラのものを数年かけて使っていました(違いがわからん、と自分に言い聞かせてました。比べた事無いやろがい!!!?!??)

着る服はリサイクルショップで古着を購入(これは割と楽しくて良いですが)。

外出中喉が乾いても、100円の水も買わず我慢して家に帰ります。

生活必需品のはずの900円のシャンプーを買うことすら躊躇う日々。

ちょっとした贅沢品なんかは、欲しいと思っても買うか迷うまでもなく諦めるのが当たり前でした。

(((ここまで)))

 

 

つまり、

『日常では節制しまくり身なりもあまり気を遣わず、非日常の時にいっぱいめかしこみ自己肯定感を上げ、ドサっとお金を使う』

 

これが私にとってのスタンダードでした。

日常では身なりまで気を回す余裕すらなかったとも言えます。

しかしこれはこれでオタLIFEとして楽しく充実していました。

 

一方心の中で、貯金もせず本当に今のままで大丈夫か…!?と感じてはいました。

 

そんな中、昨年、身内が入院しました。

軽率に遠征できない状況が出来あがりました。

現場欲に歯止めがかかりました。

というよりは、行けないのが悔しいので現場の情報をなるべくシャットアウトし意識しないようにしていました(激おこ)。

ちなみにその後身内は退院し、頻度は減れど遠征にもいけるようになりました。実際ドームとか大阪ポルノ展行ったし。

 

そんなこんなで今年に入り世界の状況は一変し、今度は違う理由で遠征が出来なくなりました。

現場にステ全振りしてた私は何を楽しみに生きたら良いのかわからなくなりました。

 

そのうち自然と…アレ?

少しだけ、少しだけ財布に余裕があるような気がする…

という気になってきました(気だけ)

10万ももらったし。

 

もちろん今だってお金はないです。そもそも信じられないほどの薄給であります。

現場のチケットの代わりに配信のチケットを買ってますし、グッズや円盤を買っています。

 

ただ、現場がない分課金がかなり軽率になりました。グッズの量が増えました。

一年程前にTravisJapanというグループに沼ったのですが、個別グッズならメンバー7人全員分買ったりなどしております。

今までならきっと自担1人分でやっとだったのに…。ジャニーズのグッズが他に比べてお手頃価格というのもありますが。

 

それから、今まで飛行機代に溶けていた3万円は、今まで必需品としていなかったものに使われるようになりました。

それは顔の産毛をなくすための電気シェーバーであったり、3000円のシャンプーであったり(さすがに半端ねえ)、駅ナカデパートに入ってるオシャレな感じのお店のボディクリームだったりしました。

中でも自分的に革新的だったのは「780円の定規」です。

かつて、生活の全てをダイソー先生とセリア師匠に任せていた私には考えられない贅沢です。

 

そして私は初めて知りました。

仕事に行って家に帰るだけの日常でも、オシャレな感じのお店のイカした香りのボディクリームをつけるだけで、めっちゃイイ女になった気分になれるなんて…………

 

今までなら絶対「これは高いから現場の時にだけ」ってなってたと思います。

それを日常で使うと、それだけでQOLが爆上がりするんですね。

なんてチョロいんでしょう。

 

私の中に革命が起きつつあります。

仕事帰りにスタバに寄ったりなんかします。

TravisJapanがプロモしてたのがきっかけでデパコスも買いました。

少し良いものを身につけるだけで、気分は「イイ女」です。無双です。

誰も気づかなくたって関係ありません。

だって私はイイ女だからァーーー!!

 

今まで正直ブランド物を欲しがる人の気持ちがわかりませんでした。

しまむら安心価格の1980円のバッグのほうが安くて機能的だと思ってました。

でも違うんだね、ブランド物のバッグを持ってると、自分が「映画やドラマに出てくるあの可愛くて素敵なひと」になれるんだね。

 

自分にお金使うの、楽しい。

 

もう今の時点で既に、100円の飲み物さえ我慢していた自分を忘れそうになっています。

だから書いてるわけです。

 

おお私よ、調子に乗るなよ。

金銭感覚バグらせるなよ。

簡単にスタバ飲んでんじゃねーぞ。

肝に銘じよ。

今の状態できっと、やっと「人並み」だぞ……!!!!

 

で、何が言いたいかというと。

これ、今のこの状況だからこそ至れた境地だと思うので、この状況が改善された時には、

以前のように、自分を二の次にして現場に行く事が全てという状態に戻るのかもしれません。

 

逆にこれをきっかけに、自分が「現場離れ」していくかもしれない事が、少し怖くもあります。

現場以外の場所にも幸せを見出してしまったから。

 

まあ、おそらく現場中毒のこの私、完全に遠征に行かなくなる事は今のところ全く考えられません。

行っていいよと言われたら明日にでも東京に飛ぶでしょうね。

それでも今までより少しは節制が効くようになってしまうのかなあ……。。

 

まあ、言うてもまだ2◯(ピー )年しか生きてきていないので、これから先もこういう変化があったりなかったりラジバンダリするのかもしれません。

それが良い事なのかは今はまだ分からないです。

まあただせっかく与えられたこの機会なので、もう少しイイ女感あげていこうと思います。無双楽しいわ。

 

 

…オチはないですが宣伝はあります。よかったらでいいので見て。

例の沼、TravisJapanのダンス動画貼ります。

彼らはジャニーズJr.のグループで、現在デビューに向けて活動中です。

シンクロダンスが売りです。フィジカルだけでなくメンタルも日々シンクロし続けてるな、と外野から見ても感じています。

バキバキに踊るパフォーマンスと、オフの時の誰も傷つけない平和な幼稚園のような空気感のギャップにやられました。

 

初週ミリオンに向けてぶん回し中です。

あなたの3分半、くださいませんか?

 

 

(リンクの貼り方これであってんのか?)

 

 

こんな状況でも日常をなんとか楽しく生きられてるのは、ここに書いた「自分の為のお金」によることももちろんですが、他にも要因はあって。

それはポルノさんの東京ドームの最高の景色の余韻と、次に見せてくれるであろうライブの光景への楽しみと希望と、

それから、トラジャからの供給という癒しが非常に大きい。。

定期的なYouTube更新、毎週のように載る雑誌、テレビ出演、SNS。地方にいても平等に届くたくさんの供給が私には非常にありがたかった…。

このままだとまた長くなるのでそのうち別で書きます(書かない

パピルスの呪いとVSして勝利した

ポルノグラフィティ「VS」明日発売です。

www.youtube.com

 

 

カップリング曲についても書いてるので、まだ聴いてない方はきをつけてね。

 

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ここ最近、ツイッターでもちょくちょく話題には出してしまってたんですが。

「寿命」の話。

あまり気持ちのいい話題ではないのはわかっているし、未来なんて誰にもわからない、のですが、心配症な私はどうしても不安が先行してしまい、近頃の公式さんの言動に敏感になってしまってたんですよ。そんな意図はないのだとしても。

その不安が、今日発売(フラゲ)の「VS」、そしてそのカップリング曲「プリズム」「一雫」を聴いて、スッと消えていく感覚がありました。不安が消え、感謝と愛が溢れに溢れて誰かRomantic止めてRomantic状態です。本当にありがとうございます。

 

なんのこっちゃって感じですね。ざっくり説明します。

2010年6月に出たパピルスという雑誌で「ポルノグラフィティの寿命」という特集がありまして。メンバー二人それぞれが思う、現時点での未来予想年表と、それに伴うインタビューが掲載されました。

その中で昭仁さんは、「ポルノとしての活動をやっていく具体的なイメージがあるのは、今のところ45歳まで」「その先は正直わからない」

晴一さんは、「45歳で、ポルノの20周年を迎えます。ここまではポルノとしての活動を視野に入れている」「この先は未定」

と発言していました。

これを読んだ頃、すでに、私にとって彼らが元気に活動してくれることが何よりの幸せで、彼らの存在が私の人生において切っても切れないものになっていました。

10年前、これを読んだ時から私の中で勝手にパピルスの呪い」が始まっていたんだと思います。

裏を返せば「20周年までは大丈夫」だと思えていました(何が?)。

※呪いという不穏な言葉を使ってしまってますが、パピルス様、ポルノ側にはなんの落ち度もございません!大感謝してます!オタクのクソデカ感情を込めて強い言葉になってしまうこと容赦ください!

 

表舞台に居続けることは、本人たちの意志だけでも難しく、ファンの意志だけでも難しいことです。その中で何があるか誰にもわかりません。それでも彼らは「20周年までは活動する」と言ってくれてました。

私はこの10年、この幸せな約束と一緒に生きてきました。(きっと約束というほどの拘束力はないけれど…)

もちろん、怪我や病気など不可抗力はあるでしょうし、人間だから意志が変わることだってあるでしょう。というかそれが当たり前です。「今永遠の恋などと表現して新しい恋に出会ったとしたら 君はさあどうしよう」みたいな。

今こうして、20周年のお祝いを目前にしてみて、彼らがほんとうに、大きな怪我や病気もなく、事故もなく、歩みを止めずいてくれたこと、本当に感謝してもしきれないです。お陰でこの10年私はずっと幸せでした。お中元に美味しいビールを贈りたい。

 

ヒナが初めて見たものを親鳥だと思うように、あの頃純な気持ちでパピルスを読んだ私は、…縁起でもないWordですが(ごめんなさい)…20年で区切りをつける、活動休止、解散…そのような「お知らせ」が来やしないかと、どこかビクビクしていました。マジ呪いだわ。

それ系の事で、「あるわけない」と思っていたことが「あり得る」のだという事をここ数年でいくつか体験してしまったせいもあります。勝手に不安になっていました。

 

「VS」をはじめて聞いたとき、その不安が少し晴れたように感じました。

過去の自分と向かいあい、歩んできた道と、得た今を認め、讃える。

タイアップもあるし、新藤先生はフィクション作家なのでフィクションなのは大前提として、それでもポルノ自身の20年と重なるところはちょっとくらいあるでしょ…と思ってまして。

「こんなにも晴れ渡ってる」「こっちも戦ってんだよ」と歌ってくれることに希望しか感じませんでした。これをドームで歌ってる姿想像しただけで涙腺が西田敏行

まあただあくまでフィクションなので、油断はならないなって(だから何が?)

それとは別として、やっぱり彼らのタイアップへの寄り添い方は本当に見事だなと思いました。

 

それから「プリズム」。

予め、カップリング曲は周年を意識して想いを書くというコンセプトで書いた(=ノンフィクション)と明かされていたので、心して聴いたのですが。

こんなにも私の不安をぶん殴って消し飛ばしてくれる人がいるだなんて思わなかったです。岡野昭仁っていうんですけど。

「夢か現か風か幻か 確かめるまで終わらない Great journey」

あーもう、ありがとうオブザイヤー。勝手に不安になってたのが馬鹿みたいでしょ…。

パピルスで語ってたのは「10年前の気持ち」そしてこのプリズムで語ってるのが「現在の気持ち」。ハイ、大勝利~~!当たり前のことだけどそうだよ、最新のものにこそ真実は宿ってるんだ…!

愛するミュージシャンが「過去も現代も未来もたくさんの愛に包まれている」と歌ってくれる、これ以上嬉しいことありますか?ないですよね(圧)。

泣けるポイントをあげようとしたら全部になってしまいそうなので割愛します。

歌詞に気を取られすぎてたけど曲めちゃくちゃに良くないですか…この期に及んでまだ進化し続けてくれるんですか…大好きです…ギターリフに身体這いずりまわられたい…

 

一雫」をすでに聴いたアナタはそのエモーションに耐えられなくなっていませんか?

私はなっています。

新藤晴一というひとりの表現者を応援していると、たまにこういう伏線回収に出会うことがありますよね。ファンとしてはそれらの話は既に大前提として心臓に刷り込まれているのですが、彼の信念の一貫性にはいつも感動するし、やっぱり大好きだって思わされます。

ロイスーツアーMCの「宛先のない手紙」、「自宅にて」はじめ各所で登場してきた「ぎゅっと目を閉じて夢を見続けること」、そして「ダイアリー00/08/26」、その他にも細やかにこれまでの表現の踏襲が散りばめられてます。

あの…すべての歌詞が良すぎて絞れないんですケド。(突然の遊助

この歌詞を見て思ったのは、20周年のその先は(当たり前だけど)やはり彼らにも未知であるのかなということでした。「まだ見ぬ明日に続けよ」とあるように。

ただ私が嬉しかったのは、「この旅路の果てで待ってて」と、続きを示唆してくれたこと。

 

「乾いた雑巾を絞った一雫」は、表現者としての苦悩を匂わせる言葉だし、きっと我々には絶対知りえない苦労も苦悩もあるんだと思いました。そしてその一雫が我々には何より有難いご馳走なんですけどね!??!本当にありがとう良い薬です

彼らは神様じゃないから、モチベーションが下がることも、休みたいと思う事もあるでしょう。彼らがそう望むなら、と頭ではわかっていても、ファンとしてはどうしても、ずっとそこにいて欲しい、とわがままを言いたくなるんですが。

でも彼らが彼らの意志で、この先も進んでくれるなら、最高に幸せなことですね。

 

昭仁さんは「journey」、晴一さんは「旅路」。

この世界で進んでいくことについてのイメージは共通してるようで、そこにもグッと来てしまいますね。

旅というのは何が起こるかわからなくて、だからこそ楽しいんだと思うんです。

何度も言うように、絶対なんてない世の中、何があっても彼らの意志を受け入れる覚悟は出来るだけしときますけどね!!

健康で活動してくれること、いつでもそれへの感謝を忘れずに。

勝手な不安で勝手に振り回されてたけど、この先の約束されてない未来を楽しみながら、これからもずっと彼らについて行きたいなあ、という、話でした。

あっやばい、イイ話っぽくなっちゃった。

 

 

気持ちを改めてあの名言で締めたいと思います。

べろべろばーーwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

ぬるぬるにょーーーーーーーーんwwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

しまなみロマンスポルノの話をしよう

しまなみロマンスポルノ18の話をしよう。

 

9/9、会場に来た人も遠くから応援していた人もスタッフも、メンバーも含めてたくさんの人が悔し涙を流した決断がありました。

残念だった、悔しい結果だった、と表現するのも何だか心苦しい複雑な心境ですね。ライブが残念だったみたいで。各所報道の「開催するはずだった」「演奏するはずだった」という言葉も切なさで胸が詰まる…。誰も悪くないからこそ。

 

私は9/8初日の公演に参加していました。

メンバー2人とも、今まで見たこともないくらい、晴れやかな表情をしていて、何度も何度も、しきりに「自慢の故郷を見て!」「本当にここまで来てくれて、集まってくれてありがとう」と伝えてくれていました。彼らの郷土愛、デビュー日に凱旋ライブが出来た喜びが一心に伝わってきて、涙が出た。あれ以上に幸せそうな笑顔なんてある?って思うくらい!!それを見て私も心から幸せで、ライブ中は雨なんて忘れてしまってるくらいでした。

 

9/9の公演も参戦する予定で、中継とか諸々(予想するだけでも非常に多くの問題がある)の関係を考えるとなんやかんやで開催するのだろうと心のどこかで思っていました。甘かった。彼らは決断してくれた。命を守ってくれた。本当に勇気のいる決断だったと思います。

中止に伴う会場の混乱、スタッフや関係者への問い合わせの殺到、各交通機関の対応、ライブを報じるはずだった各メディアの内容変更…など考え出すとキリがないくらい大変な事が山積みな中、悩んで悩んで人命最優先で出してくれた答えなんだと思う。

待っていたファンも、協力してくれた地元の人も、スタッフも辛いけれど、メンバー2人は特に、私には想像できないくらい辛かったと思います。2人の気持ちを考えると本当にしんどい。あの重い責任を背負う中で決断する事はどれだけ大変だっただろう。

 

9/8の公演、それからライブ企画全体を見て、私たちファンは今回ポルノグラフィティに「おもてなし」して貰っているなって強く感じました。よう来たね、楽しんでってね、ってたくさんご馳走(と、やたら黒飴)が出てくるおばあちゃんちみたい。

会場まで近隣の駅からのシャトルバスの車内放送は、しまなみテレビ特別編!ハッサクメガネさんとポルノさんがゆるゆると、ライブに向けてのコメントや広島の美味しいものを紹介する放送をしてくれました。私たちが乗ったバスは全て音声のみだったけど、映像付きのバスもあったそう。こんな事今までなかったし、会場に着く前から楽しくて、ワクワクを増幅させてくれました。帰りのバスでも放送がありました。

カラオケの企画やフードエリア、尾道・広島の各PR企画、コラボグッズ、そして何よりもLIVE!どれをとっても「歓迎」してもらってる感が凄くって…

彼らはこれを半年以上も前から一生懸命考えて、話し合って、形にしてくれたんだなと。愛する故郷をファンである私たちにも知ってもらいたい、楽しんでもらいたい、という想いが伝わってきました。この半年間、この日のために彼らは頑張ってくれてたんだよね。しっかり受け止めます。

皮肉にも、だからこそ悔しいんだよね…。この日のために準備して、万全のコンディションで臨んだであろうお二人の気持ちを考えると…うう…(実際、8日の昭仁さん、ちょっと信じられないくらい歌が上手かった…何だあの声の伸びと表現力は。キレそう)。

 

結果的には沢山の人が悔しい想いをしてしまったからこそ「これで良かったんだ」とは軽率に言えない。みんな泣いていいし、悔しがっていい。受け入れられなくていい。私もまだ受け入れられてないし。メンバーや、夜通し1日で対応改善してくれたスタッフさんや、2日目だけ参戦予定だった人、(後で知ったが)コラボする予定だった因高の子たちの辛さを思うと、もう胸が張り裂けそう。昭仁さんも晴一さんも運営さんもどうか謝らないで欲しい…。ただただ、やるせない。油断すると悔しさで泣けてくる。

 

だけど、だけど、無理やりにでも前を見てないとやってらんねーって気持ちもあるんです。

8日のMCで、昭仁さんは「皆さんの支えでここまで来れました。これからもどうか支えて下さい」と仰っていました(選挙カーかな?)。

私はこれまでポルノに励まされて、支えられて、救われて、ようやく生きてこれたタイプの人間です。だからこれからは私がポルノを支えたい、感謝を返していきたいと思います。

twitterにも書いたけど今回尾道に行って、改めて尾道を、広島を好きになりました。街も海も人も暖かく穏やかで、この土地に育てられたから彼らはあんなに素敵なんだなって実感します。本当に人が優しかったのよみんな…。食べ物も美味しいし。

だからポルノと一緒に、ポルノが愛する広島も、出来る限りの力で支えたい。今回のチケットの返金は、しないつもりです。だから返金か寄付を選べるようにしてくれると嬉しいと思ってるので公式ちゃん、そこんところ頼んだ。正直リアルに損害額が怖い(超小声)。

もちろん寄付希望の声が多いからといって返金を後ろめたく思うことは全くないと思います、君は間違ってないぞ!返金しよう!いつか余裕のある時に還元できたらそれでいい。

 

今、我々の愛するポルノグラフィティがこのまま終わるわけないって私の中の松岡修造が叫んでます。初日、あんなに素敵なライブを見せてくれた彼らが、2日目にはさらなるサプライズを仕込んでいたんだよ?今後どんな展開を見せてくれるんだろう。悔しさは中々止まないだろうけどでも、落ち着いたら、また元気な顔を見せて欲しいな。

今回の事を乗り越えた我々ーーメンバー、スタッフ、ファン共々ーーきっと次の機会には、これまで以上に心は一つのはず。これからのポルノを楽しみに待ちながら、でべら焼きとブロイラーをむさぼり食おうと思います。

ドリフェス!楽曲の中の私

私がドリフェス!の記事を書く日が来るとは。ちなみにまだ応援初めて一年経ったか経たないかくらいです。一年前は男性アイドルに自分がきゃいのきゃいのするとは思わなかったし遠征キめまくったり顔面がドカンとプリントされたうちわを買い込んだり「この木なんの木?片桐いつき♡」と書かれたキンブレシートを制作したりするなんて微塵も考えてもいなかったレベルでした。どうしてこうなった。ワケわかんねえ(CV:黒石勇人)

まあ大した内容ではないのですが、ふと思ったので書いておきます。

 

ドリフェスは曲が良い」

こういうブログで5億回くらい見ました、この言葉。

で、5億回くらい「わかる」って思いました。

 

 

 

それからこんな意見もよく目にしました。
ドリフェスはアイドルのプロデュースや育成をするわけでもなく、アイドルと恋愛するわけでもなく、ただ純粋にファンとアイドルという関係でいられるのが魅力」

これはまさにその通りで、公式がこのスタンスを保ち続けてくれているから私は臆することなくキンブレをケチャらせることができているんだなとも思います。

 

で、最近(今更)気づいたんですけれど、ドリフェスの楽曲って、楽曲の中でも圧倒的に「僕らとファンのみんな!」を保ってくれてませんか?

 

某ジャ〇ーズさんの最近デビューした某グループの某デビュー曲、シンデレラ〇ール。ヒットしてますよね。あれ大好きです。ザ・アイドルソングとでもいいましょうか、女性の夢が詰まった宝石箱みたいな曲だと思います。

彼らが歌うのは、「ボク」と「キミ」の物語。「キミ」を愛し、守り続ける「ボク」の想いを歌った曲。デビュー曲ともあって、グループの印象を固めるように彼らのきらきらした魅力を全てを詰め込んだような感じがします。

 

この曲を聴いているとき、同じ男性アイドルであるドリフェス!くんにはこういった要素があまり感じられないなとふと思ったんです。もちろんそれが悪いという意味ではなく。彼らが「シンデ〇ラガール」を歌っているところがリアルに想像できない。まあ歌ったら歌ったで私がよだれ垂らして白目向いて散ると思いますが。

 

ドリフェスの楽曲(とくにDD曲)って、「君が好きだ、君を守りたい」曲よりも「僕らが、君たちを、明日へ連れていくよ」「僕たちは夢に向かって走り続ける」のイメージが圧倒的に強いんですよね。非常にプロジェクトのコンセプトとの整合性が高い。アニメやアプリの中でも「ただのファン」だった私は、曲の中でも「ただのファン」でいられる、その安心感がとても良いんです。モブはモブのままいさせてくれるんや…。

 

DDのデビュー曲、「NEW STAR EVOLUTION」の歌詞を見ると、はっきりした二人称(君、あなた)が出てこないんですよね。じゃあ何に向けて歌ってるかというと、「僕らのミライへ」がそれにあたるのかなと。ここからスタートするわけなので、この時点では「君(ファン)」に当たる人がいなかったという解釈もできるかもしれません。Never give up on "you"!は一度だけ出てくるけれど、訳するなら恐らく「君を諦めない」。ニュアンス的にこのyouは「夢」や「未来」かなと思います。つまり「僕ら」が切磋琢磨しあって「おなじ場所」「ミライ」へ進んでいくという決意表明の歌。

 

これに象徴されるように、彼ら(DFプロ全般)の曲って恋愛の曲だったり「私個人」に向けたような曲より、やはり「夢とか絆」「僕らと君たち」な曲、そして「俺とお前(メンバー)」な曲(特にフネ)多くないですか?あげだすとキリないのであげませんが。

もちろんそうじゃない曲もあります。「MAYBE,LADY!」「ユレルMIDNIGHT」「あなたの瞳に踊らせて」「リバーシブル→バレンタイン」「SAKURA LETTER」「FEEL YOUR SKIN」「BUTTERFLY GIRL」「薔薇の三銃士」あたりが個人的にそうです。

でもこれらの曲も、圧倒的にフィクションに徹しているし、世界観がはっきりしている(現実離れしている)ので、「私」が曲に介入する余地はあまりない、と個人的には思っています。FYSなんかは設定が私たちの生活に近いと思うけど、生々しさはあまり感じないんですよね、何故か…。それより顔の良い男たちがステージで肩タッチ♪肩タッチ♪してる幸福絵図の印象が強え。地上波で放送してほしいです。国民の幸福度上がりそう。景気とかよくなりそう。

 

 

何が言いたいかというと、見かたによるし個人差はあるでしょうが、私はドリフェス楽曲に、「ファンの一人として」自分を重ねることはあっても「私個人(とアイドル)」を重ねることは殆どない、という話でした。曲までもがプロジェクトのコンセプトを支えているから、ただ真っ直ぐに「アイドルの成長物語」を応援できる。ドリフェス!は凄いヤツ!

とかいって今度のフネのシングルとかDDアルバムで「お前だけを愛してる~ウォウォ」とか歌ってたらどうしよう。それはそれでたぎる。

 

ところで、NEW STAR EVOLUTIONの時点では「君」にあたる人がいなかったDDくんが、1stアルバムを出すころには「Thank you for YELL! 君がいるから」と歌っているこの事実、国宝級に尊くないっすか。私今後号泣しながら塩おにぎりダンスしますわ。

 

推しができると綺麗になる理由

 

今の私には「推し」がいます。いわゆる若手役者です。

 

アイドル、俳優、ミュージシャン……3次元に推しが居る人(とくに女性)は分かってくれる人が多いと思うのですが、推しに会いにいく時って少なからず気合い入るじゃないですか。

現場に行く日に合わせて美容院予約したり、ネイルを「推し色」にしたり、メイクを研究してみたり、洋服だっていっとうお気に入りを着て行く。そしてカラコンを入れた大きな瞳で推しを見つめるのです。

私は普段の顔は大木凡人ですが、推しのいる現場に行く時には銀杏BOYZの峯田になります(本人様ファンの方すみません)。それが良いのか悪いのかは今は置いておきましょう。

私は今の推しに出会ってから、推し事の日に合わせて、少しでも外見がよく見えるように自分磨きをするようになりました。むしろ推し事がないと私はずっと大木凡人です。推し事が、お洒落をする為の大きなモチベーションになっているのです。

 

もちろんライブ、舞台、握手会といったイベントの形式や、会場の大きさによって「推しの目に自分が映る可能性」は大いに上下するものです。全く推しの目に入らない現場も少なくはありません。けれど毎回それなりに身なりを整えていきます。

私は苦手としていて殆ど経験ありませんが、界隈にはいわゆる「接触」の機会というものも度々あります。接触というのは推しの目に映る可能性100%の現場です。今できる最高の自分でいかねばならぬと意気込んでしまいます。

 

周囲は言います。

「相手はお前をそんなに見てねぇし覚えてもねぇよw気合い入れすぎw」

「いやどんなに頑張っても付き合えねぇからw自意識過剰w」

 

わ  か  っ  て  ま  す  。当たり前です。

むしろ私は推しに覚えられる事の方が恐怖です。推しと付き合えるとも思っていませんし、付き合いたいとも思いません。

 

じゃあなんで推しの前でオシャレをするの?という話ですよね。

私の場合は「自分が思う1番の自分で推しの前に立った」という思い出が欲しいからです。わかりやすく言うなら「推しの前に立っても恥ずかしくない自分」でいたいから。まあ、結局はおっしゃる通り自意識過剰、自己満足の為ですけど。

 

たとえばスッピンによれよれの普段着で現場に行ったとします(極端ですが)。そして推しと目が合った!とします。私はその先ずっと考え続けるでしょう。「あの時、あの子眉毛ねえな、服もよれよれ!って推しに思われてただろうな…恥ずかしすぎる…」。

一方、自分なりに精いっぱいお洒落して現場に行ったとします。よし今の私1番カワイイ!これ以上は無理!という気持ちで推しの前に立ったなら。その後でぐだぐだ後悔することがなくなるんです。「とりあえず少なくとも人間としてみなしてはくれたかな!ヨッシャ!」と思い込む事ができます。自己満足、思い込みで結構なのです。

 

実際のところ、推しにどう思われていようが、何も思われていなかろうが、関係ないんです。どうでもいいんです。推しは恋人でもなければ友達でもなくて、どう思ったかなんて確かめようがないからです。客観ではなく主観で。自分の事をどう思われたと思い込むかが全てです。私の事なんて見てないとわかっていても、どうせなら思い込んでおきたいんです。

私は推しのためにオシャレするのではなく、自分の為にオシャレします。

あ、あと推しとは関係なく、周りの人に「○○○(推し)のオタクはダサい、ブス」と思わせてたまるかという気持ちもあります。これだって自意識過剰の賜物だけど、だからこそ最大限の自分で推しのグッズを持ちたいのです。

これはあくまで私の理由。オタクの数だけ理由はあると思います。

…本当は、推しのことは近くで見たいけど自分の事は見られたくないという気持ちでいます。マジックミラー号みたいな感じでこっちからは見えるけど向こうからは見えない現場があればいいのに!!と本気で思います。だけど無理だから。私は「推しに見られても恥ずかしいと思わない私」で今日も現場に向かうのでした。